「母さんが働きに出なくてはならないくらいなら、僕が働こう」
・・・とアルマンドは思いました。
奨学金を断り、大学へは進むことをあきらめたのです。
そして17歳でジャクソンヴィルのアメリカン・ナショナル銀行で小切手を運ぶメッセンジャー・ボーイの仕事につき、また近くのウィン・ディクシーで座席とりのアルバイトをしました。
若いキューバ人にとってこの暮しは後退のように思えました。
しかし銀行でコーディナは恋に落ちました。
相手はコンピューターです。
マイアミでは、ピネロは英語もまだまだだったし、大学も決めていなかったのです。
・・・しかしレコードの仕事は急速に伸び、ウルトラの支店を新しい2か所のショッピング・センター街に開き、ラテン・アメリカおよびカリブ海諸島からレコードの輸入を始めました。
アモウリ・ベタンクアートはココナッツ・グローヴの銀行で急激に業務を拡張している国際部担当の副社長の地位に昇進していました。
フェリーペ・ヴァルスは、レストラン用厨房器具の販売を数年つづけた後、その設計と製造の請負人兼コンサルタントになっていました。