猫には、副甲状腺(甲状腺と同じ機能構造を有した内分泌腺で、犬では前胸部に存在する)が存在しないため、特に甲状腺の腫瘍化が片側に生じている場合の手術や、抗甲状腺剤と手術との併用のタイミングなどに細心の注意を要します。


人間や犬において、もっとも多発する内分泌疾患は、甲状腺機能低下症です。


・・・しかし、猫でのこの病気の報告は、世界的にもほとんど発表されていません。


この点でも、猫はホルモン的に特異な動物です。


最近、日本で、全身性の脱毛を主とした病状に、甲状腺ホルモン療法が良く反応して、新しい毛が生えてきた症例が発見されました。


犬での本症の主な原因は、甲状腺の原因不明の萎縮であり、最近では自己免疫の関連も知られています。


猫での原因に関しては、今のところ不明な点が多いのですが、理論的には、甲状腺の萎縮、出血、腫瘍(ホルモン概能を有さない)、変性、自己免疫などが考えられます。


いずれにしても、猫の甲状腺機能低下症と思われる、具体的症例が発見されたのですから、原因不明の全身性脱毛が生じた場合、猫でも、甲状腺ホルモンの測定が不可欠のものとなってきました。


1970年代に、この物語中の5人の移民はそれぞれマイアミにおけるキューバ人の成功に大きな貢献をしました。


その1人は全国的に著名な実業家となり、その子供たちはデイド郡ならびに国中でつぎつぎに新しい生産的な仕事につこうとしていました。


アモウリ・ベタンクアートはマイアミに15行あるキューバ人所有の銀行の一つ、トータル銀行の頭取、会長となりました。


1974年にアメリカス銀行という名前で、南西24番街とコーラル・ウェイの角の移動式銀行トレイラーの中で始めた銀行です。


当時マイアミでは繁華街へと移動するキューバ人が増えていましたが、そこにはまだキューバ系銀行はなかったのです。


従ってリトル・ハヴァナとコーラル・グローヴの間に置かれた新しいトレイラーは、そうした必要に応えるのにちょうどいい立場にあったわけです。


また別の有力なキューバ系銀行、インターコンティネンタルはこの考えを広告のうたい文句にしています。


「私たちが繁栄できる最良の道はお客様方の繁栄のお手伝いをすることです」


・・・トータル銀行は顧客の急増で急成長を遂げました。

ドクター・オーユルスンは長い病院勤めの後、すでに独立して開業し、アメリカ人を雇い入れることを考えていました。


・・・1970年には、キューバ人はこの都市にしっかり根づいていました。


人口調査によると、29万1000人のキューバ人がいましたが、これはデイド郡の人口の23パーセントにあたります。


その後の10年間は、変化と成長をはらんだ1970年代の停滞の時代でした。


しかし、その間にキューバ人の数は2倍以上に増え、一般市民の41パーセントに達していました。


しかしこの時期フロリダの経済は国内のどの州よりもめざましい急成長を遂げ、失業率も低く、福祉負担額も少なかったのです。


キューバ人の流入があるたびに、新しい不安と警戒心が生まれ、連邦政府も新しい援助と管理を求められました。


しかし、マイアミの経済はそうした援助が要求される他の地域のどこよりもはるかに急速な発展をつづけていました。


・・・アメリカの長い移民の歴史が完壁な教訓を示してくれているにもかかわらず、移民が大挙して押し寄せるたびにアメリカ国民はそれを経済上の厄介な問題として受止め、後に実証されるはずの経済的恩恵とは考えなかったのです。

「母さんが働きに出なくてはならないくらいなら、僕が働こう」


・・・とアルマンドは思いました。


奨学金を断り、大学へは進むことをあきらめたのです。


そして17歳でジャクソンヴィルのアメリカン・ナショナル銀行で小切手を運ぶメッセンジャー・ボーイの仕事につき、また近くのウィン・ディクシーで座席とりのアルバイトをしました。


若いキューバ人にとってこの暮しは後退のように思えました。


しかし銀行でコーディナは恋に落ちました。


相手はコンピューターです。


マイアミでは、ピネロは英語もまだまだだったし、大学も決めていなかったのです。


・・・しかしレコードの仕事は急速に伸び、ウルトラの支店を新しい2か所のショッピング・センター街に開き、ラテン・アメリカおよびカリブ海諸島からレコードの輸入を始めました。


アモウリ・ベタンクアートはココナッツ・グローヴの銀行で急激に業務を拡張している国際部担当の副社長の地位に昇進していました。


フェリーペ・ヴァルスは、レストラン用厨房器具の販売を数年つづけた後、その設計と製造の請負人兼コンサルタントになっていました。


ドクター・オーユルスンは医事局の試験を受けていました。


合格できるだけの英語の力はついていました。


しかし彼は落第したものと思い込んでいました。


これであと1年間マーシー病院の書記として働き、また貧乏していかなくてはならないときめこんでしまいました。


友人や親類と雑居の窮屈な生活をまたくり返すことになるのかと思いました。


・・・というのは、他の受験生はすでに自分の成績について通知を受けていたのに、その朝郵便配達のトラックはオーユルスンの所に停まらなかったからです。


家族はみんな絶望していました。


・・・ところが大きな茶封筒を持って戻ってきた配達夫は、車寄せで待っていたミセス・オーユルスンから抱擁とキスを受けることとなりました。


1965年、アルマンド・コーディナは母親に会いにニュージャージーから戻ってきました。


ようやくキューバを脱出した母親はフロリダ州ジャクソンヴィルに住んでいました。


コーディナは残る高校生活をジャクソンヴィルで送り、英語をさらに数千語覚え、ジャクソンヴィル大学で数学を学ぶ奨学金を獲得しました。


しかし母親はキューバにいた頃も職についた経験がまったくなく、夫とは離婚していました。


福沢諭吉は狭い日本を超越していました。


広い世界を絶えず意識していたのです。


そこに蘭学者の心意気があります。


福沢諭吉の教育は蘭学者の精神でつらぬかれています。


彼は蘭学者タイプの教師といえるでしょう。


慶応義塾は今でいう石川遼 英語のような英語を学ぶことが出来る学校として、明治初年の日本の英学を一手に引き受けていました。


その卒業生は全国に招かれて英語を教えました。


蘭学の精神は今も生きています。


新島は安中藩士として生まれ、14歳のとき選ばれて蘭学の勉強を始めました。


ある日彼は江戸沖合にオランダ軍艦を見て、海国日本の建設を心に誓います。


やがて英学の勉強を始め、海外の事情を知ろうとしました。


彼が興味深く読んだのは漢訳聖書でした。


彼はこの書によって、父なる神を崇敬すべきことを悟ったのです。


彼の心の中にキリスト教的開拓精神が芽ばえてきたのです。


やがて彼は函館から国外へ脱出し、アメリカに遊学することになります。


彼はキリスト信者として熱心に勉学を続け、キリスト教によって日本を救うことを決意します。

北海道の留萌海岸を訪れたことがあります。


札幌に友人がいることもあって札幌旅行はよくしていたのですが、海岸の方へ行ったのはこの一度きりです。


「遠別までのバスの疾走する原野の、行けども行けどもはてしない広漠たる風景は、おりから沈まんとする太陽に、天空も笹原も真赤にそまって、開拓のための野焼の煙が薄白くながれ、


昼の月の白さも風に吹きさらされた鎌のようで、なんともいえない凄みがあった」。


・・・これは『天塩の原野に沈む月』の一節です。


この頃はまだ羽幌線が開通していなかったのですね。


町が近くなるとガラ空きの車内に、ドッとひしめきあって乗客が乗り込み、町に入ると客車をひっくり返したように皆下車してしまいます。


相変らず気動車は馬のひく馬車のようにのろく、国道を走る車にすいすいと追い越されるのですが、その国道がまた直線なのにひどく波うっていて、車を走らすと、うねりの海の舟に乗っているようです。


近年まで地盤が湿地であったからですね。


かつてはこの海岸も鯨の千石場所であった名残りが、ところどころに壮大な漁場建築になって、昔の豪勢な時代を物語っています。


その時代に背後の森林を伐りつくしたので、木材資源が乏しく、あらしのあと海岸に流木が寄りつくと、最初に見付けたものが、縄でもなんでも結んで印をつけています。


それで流木の所有権が生じるのです。


それほど木に困っているのですね。

これらの本は、今日でも世界中の子どもたちに喜ばれ、読まれています。


日本には叙事詩が少ないせいもあって、私の子どもの頃も、子ども向きの絵本を卒業してしまった後で、もっとも愛読したのは、やはりマロリーの『アーサー王の死』や、ギリシャ神話を子ども向きに書いたものでした。


その他にも、『源平盛衰記』を子どものために書きなおしたものを読んだ覚えがありますが、現代の子どもたちも、もっと、こうした英雄たちの物語をたくさん読んでもいいのではないでしょうか。


おもちゃ箱からは、トービーの鹿がはめていた青いなめし皮に宝石をちりぽめた首輪や、中から、幾つもさらに小さな人形がとびだすロシア製の木彫の人形もありました。


その他には、中国製のおままごとの象牙でできた皿小鉢や象牙と黒たんでできたドミノ・ゲームの箱も出て来ました。


こうしたものは、子どもたちが宝もののように大切にしていたものに違いないでしょう。


この子たちの父親は船長で、それで外国のものがたくさんあるようでした。



雪が降りしきる朝、トーリーはヒワが床板のわれ目にひっかかっているひものはしをひっぱる音で目を覚まします。


トーリーも手伝ってひきだしてみると、ひもの先には古い鍵がついていました。


それはおもちゃ箱の鍵でした。


トーリーは、大声でおばあさんを起こし、二人で、そっとおもちゃ箱を開けてみました。


その中から出てきたものは、まずアレクサンダーのフルート。


おばあさんが唇にあててふくと、窓の外には小鳥がたくさん集まってきました。


そこで小鳥たちに餌をやり、朝ごはんを食べてから、二人はおもちゃ箱の中の他のものも調べてみました。


そこには、古い皮表紙の、さし絵の入った大きな本が幾つも入っていました。


ローマ建国の神話である『アエネーイス』、『イソップ物語』、アーサー王をめぐる古い叙事詩を子ども向きに書いた『魔法使いのマーリン』や、マロリーの『アーサー王の死』、それから『トロイの歴史』もありました。



トーリーは、すっかりグリーン・ノウの屋敷になじみました。


毎朝、窓から入ってくるビワと遊び、木製のネズミと寝て、木馬のたてがみとしっぽにブラシをかけました。


絵の中の子どもたちは、時々、おばあさんと遊んでいるようでしたが、トーリーの前には姿を見せず、いつもかくれんぼをしているみたいでした。


しかし、家の内にも外にも、子どもたちのいる気配があふれていましたし、庭には小枝で形づくったT、A、Lの印が見つかりました。


そして不思議なことに、かつてフェストの馬小屋だったところに置いてきた角砂糖はいつの間にかなくなり、また置いておくと、やはり消えてしまうのでした。


やがて、クリスマス近く、雪があたりに舞い、日が落ちて暗くなってから、誰かが外でクリスマス・キャロルを歌いだしました。


とても美しい歌声で、歌が終わると女の子の笑い声がします。


おばあさんとトーリーは、戸をあけて外を見ますが、そこには誰もいなくて、ただ冷たい白い雪が戸口から舞いこむだけでした。


トーリーは、昔の子どもたちに逢いたくて、泣きだしますが、おばあさんは、待っていればきっと姿をあらわすと、彼を慰めます。


その時、おばあさんと子どもは、遠くでフェストがいななく声を聞くのです。


降る雪にかき消されて、かすかではありますが、それは馬のいななきでした。


トーリーはやっと、きっとトービーは今、フェストと一緒にいるのだと思って、満足し、泣きやんだのです。



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